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京都地方裁判所 昭和48年(ワ)413号 判決

原告 医療法人十全会精神科 京都双岡病院

右代表者理事 赤木孝

〈ほか三名〉

右原告ら訴訟代理人弁護士 前堀政幸

同 前堀克彦

同 村田敏行

被告 高木隆郎

〈ほか四名〉

右被告ら訴訟代理人弁護士 崎間昌一郎

主文

一  被告らは連帯して、原告医療法人十全会精神科京都双岡病院に対し金二〇万円、原告酒井泰一に対し金三〇万円、原告池田輝彦に対し金三〇万円及びこれらの金員に対する昭和四五年一二月三〇日以降各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告医療法人十全会の請求ならびに第一項記載原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用中原告医療法人十全会と被告らとの間で生じた分は同原告の負担とし、その余の原告らと被告らとの間で生じた分はこれを一〇分しその一を被告らの連帯負担とし、その余を原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは連帯して、原告医療法人十全会精神科京都双岡病院(以下原告双岡病院と略称す)及び原告医療法人十全会(以下原告十全会と略す)に対しそれぞれ金一〇〇〇万円づつ、原告酒井泰一及び原告池田輝彦に対しそれぞれ金五〇〇万円づつ及びこれら各金員に対する昭和四五年一二月三〇日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告双岡病院は昭和(以下には略す)三〇年八月設立せられた医療法人であって、訴状記載の肩書地にて精神科、内科を開設経営し、(四五年一二月当時、医師一五名、その他の従業員二二二名、患者用定床五九一床)、原告十全会は三一年四月設立せられた医療法人であって訴状記載の肩書地にて呼吸器科、内科の病院東山高原サナトリウムを開設経営し、(四五年一二月当時医師七名、その他の従業員一一〇名、患者用定床三五八床)、原告池田輝彦は四〇年九月以降原告双岡病院にて精神科担当医師として勤務し、別紙(一)のような経歴、家族関係をもつもの、原告酒井泰一は四四年九月一日原告双岡病院に副院長として就任するとともに内科担当医師として勤務し、現在は原告十全会東山高原サナトリウム病院長として勤務しているもので別紙(二)のような経歴と家族関係を有するものである。

2  被告高木隆郎、同榎本貴志雄はいずれも医師を業とするもの、被告奥村小夜子は看護婦を業とするものであるが、被告五名はかねてから原告らの医療業務を非難し阻害する目的をもって結成せられていた「十全会を告発する会」に関係していたところから、共同して故意又は過失により次のような不法行為を行った。

(一) 四五年一二月二八日頃、毎日、朝日、読売、産業経済、京都の各新聞社の記事担当者に対し、右各新聞紙に原告らの信用ならびに名誉を害する記事を掲載公表して多衆にこれを喧伝させる目的をもって

(1) 原告酒井は京都府立医大に勤務当時、訴外甲野春子(後に甲山と改姓)を外来患者として診察したこと及び四四年九月八日から一二日まで原告双岡病院において治療に当ったこと、家族の依頼により同年九月二七日同病院に入院させる措置をとったことはあるが、右九月二七日からの入院後は同女の治療に携った事実はないのに拘らず、入院当日から原告酒井が同女の主治医として何ら医療並びに保護の必要がないのに同年一〇月一八日まで同病院三階一号室内において、同女の両手を木棉製拘束帯によって同室備付のベッドに縛りつけて身体拘束を継続するという暴行を加えて同女を監禁し、その間医療上何ら必要がないのみならず食物摂取の意思能力があるのに同病院に不当に利益を得しめる目的で右期間、同女の大腿部等に連日多量のリンゲル液等を皮下注射して同女に暴行をなし、よって同女の右部位に有痛性腫脹の傷害を与えた旨の虚偽の事実並びに右事実につき原告酒井を京都地方検察庁検察官に対し監禁、並びに傷害の罪により告発した事実(或は告発する旨)を

(2) 原告十全会が経営する東山高原サナトリウムの医師訴外国吉政一が四四年一二月二一日同病院の入院患者訴外乙山二郎につき、同人が同夜飲酒の上暴言を吐いて同訴外人の悪口を言ったことに立腹し、同人を懲戒して報復せんことを企図し、何ら医療及び保護の必要がないのに、同病院の看護人と共謀して(イ)同病院一階個室において同人の両手両足を同室備付けのベッドに縛りつけて同月二四日までその身体拘束を継続し、(ロ)その間連日同人の身体に一日当りイソミタール四・五グラム、トリペリドール一五ミリグラム、セレネース一五ミリグラムの注射並びに電気ショック療法を施し、よって同人に意識混濁、全身衰弱等の傷害を与えて同人をして同月二四日午前二時頃同病院において右傷害による吐物により窒息死亡せしめたとの虚偽の事実並びに右事実につき右訴外人を京都地方検察庁検察官に対し傷害致死の罪により告発した事実(或は告発する旨)を

(3) 原告池田が四四年一一月二〇日原告双岡病院勤務の看護人らと共謀して当時同原告が治療に当っていた入院患者訴外丙川一郎につき、何ら医療及び保護の必要がないのに同病院保護室において同人の両手両足を布紐で同室備付けのベッドに縛りつけたまま同月二二日まで放置して暴行を加え、もって同人を不法に監禁し、右暴行により同人に右上腕及び右腕関節部挫創等の傷害を加えたとの虚偽の事実並びに右事実につき原告池田を京都地方検察庁検察官に対し監禁致傷の罪により告発した事実(或は告発する旨)を

告知して原告らの信用並びに名誉を毀損したのみでなく

(二) 右告知事実を報道源として前記各新聞社をして四五年一二月二九日朝発行の各新聞紙に前記(1)ないし(3)に該当する記事(毎日、朝日は原告酒井、同池田、訴外国吉の氏名を明記し、他紙は明記せず)と医師が前記各罪で告発された事実を掲載せしめた上、右各新聞紙の多数の購読者に頒布閲読せしめ、もって公然虚偽の事実を摘示流布して原告らの名誉並びに信用を毀損するとともに原告酒井、同池田に対し精神上多大の苦痛を与えた。

(三) 原告酒井、同池田をして刑事処分を受けしめる目的で四五年一二月二八日連名の告発状を京都地方検察庁検察官に提出して原告酒井につき前記(1)の同池田につき前記(3)の各虚偽の事実につき誣告し、同庁検察官が四七年一二月二八日原告池田、酒井両名を右告発事実につき、嫌疑不十分で不起訴処分に付するまでの約二年間の長期に亘り、同原告らを被疑者として同検察官の取調等を受けしめて原告らに精神上多大の苦痛を与えた。

3  被告らの共同不法行為によって、原告らが受けた損害は前述の各新聞記事が未だに取消されていない事実、原告病院らの規模、多数の同病院患者や社会に対し及ぼした影響、原告病院理事者の心痛、医師が取調べを受けたり関係資料を提出したりしたための心労、原告医師らの学歴、社会的地位、被告高木、同榎本の社会的地位、指導力等の諸事情を考慮すれば、原告双岡病院、及び原告十全会が被った損害はそれぞれ金一〇〇〇万円が相当であり、原告酒井、同池田が被った損害はそれぞれ新聞記事によるものが四〇〇万円、誣告によるものが一〇〇万円の合計金五〇〇万円が相当である。そして右共同不法行為による損害賠償請求権は遅くとも各新聞紙の頒布の日である四五年一二月二九日に発生した。

4  よって原告らは被告らに対し、不法行為に基づく損害賠償請求として、連帯して原告双岡病院及び原告十全会に対し金一〇〇〇万円づつ原告酒井及び原告池田に対し金五〇〇万円づつ及びこれら金員に対する各共同不法行為時の翌日である四五年一二月三〇日から右各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実中、原告双岡病院が医療法人であって訴状記載の肩書地において精神科並びに内科の病院を開設経営していること、原告十全会が医療法人であって肩書地にて呼吸器科、内科等の病院東山高原サナトリウムを開設経営していること、原告酒井が四四年九月当時、原告池田が四四年一一月当時いずれも原告双岡病院に夫々医師として勤務していたことは認めるが、その余の事実は不知

2(一)  同2の事実中、被告高木、同榎本がいずれも医師を業とする者、同奥村が看護婦を業とするものであること、被告らが「十全会を告発する会」に関係していること、被告らが原告ら主張の三名の医師を京都地方検察庁検察官に対し原告ら主張の罪名で告発したこと及びその旨を新聞記者に告知したこと、原告ら主張の各新聞社が原告ら主張の記事を掲載したこと、京都地方検察庁検察官が原告ら主張の日時に原告酒井、同池田、訴外国吉を不起訴処分に付したことは認めるが、その余の事実は争う。

(二) 本件告発行為自体は告発事実そのものが犯罪の嫌疑あるもので真実であるから刑訴法二三九条一項の定める国民の権利行使として違法性のないものであり、又は犯罪の嫌疑があると信じたことに相当の理由があり何ら過失はない。又告発したことを新聞記者に告知したことは、告知した内容そのものが真実であり、又は犯罪の嫌疑があると信じたことに相当の理由があり、かつ犯罪行為に関する事実で専ら公益を図る目的でなしたものであるから何ら違法性もしくは過失はない。

3  同3の事実は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  原告双岡病院が医療法人であって、肩書地にて精神科、内科の病院を開設、経営していること、原告十全会が医療法人であって、肩書地にて呼吸器科、内科等の病院東山高原サナトリウムを開設、経営していること、原告酒井が四四年九月当時、原告池田が同年一一月当時原告双岡病院に夫々医師として勤務していたこと、被告高木、同榎本がいずれも医師を業とするものであり、同奥村が看護婦を業とするものであること、被告らが「十全会を告発する会」に関係していること、被告らが四五年一二月二八日頃京都地方検察庁検察官に対し、原告酒井を訴外甲野春子に対する監禁ならびに傷害罪で、訴外国吉政一を亡乙山二郎に対する傷害致死罪で、原告池田を訴外丙川一郎に対する監禁致傷罪でそれぞれ告発したこと、同日頃右告発した旨を新聞記者らに告知したこと、翌二九日朝刊において、毎日、朝日各新聞は原告酒井、同池田、訴外国吉らの氏名を明記して、読売、産業経済、京都の各新聞は氏名を明記せずしてそれぞれ右告発にかかる内容の記事を掲載したこと、四七年一二月二八日京都地方検察庁検察官が原酒井、同池田、訴外国吉に対し右告発事実につきいずれも不起訴処分に付したことは当事者間に争いがない。

又《証拠省略》によると被告らは(1)原告池田を「丙川一郎が食事の差入れについて双岡病院看護人某に文句をいったため同人の右態度に対し懲戒を加えようと企て云々」と(2)原告酒井を「甲野春子に対し医療及び保護の必要性がないのにペットに両手を木棉製拘束帯により縛りつける等の暴行を加え、又摂食の意思能力がありなんら医療上必要がないに拘らず、入院患者の食事作業の手数を省き病院に不当な収益を得させようと考え、栄養剤を強制的に患者に注入することを企て云々」と(3)訴外国吉政一を「乙山二郎が前夜の飲酒行為について国吉から叱責され、その直後病室内において同人が同室の患者に向って国吉の野郎やってやると叫んでいたことを、被告発人において同室の患者より聞き知るに及んで同人の右暴言に立腹し報復せんとし、さらに他の患者の見せしめとして懲戒を加えようと企て云々」と被告発人らの行為の動機が以上のようなことにある旨を以て告発したこと、又その告発の理由に、その各行為は医学的常識から甚しく逸脱した方法によって処置されたもので医療行為として認めることはできないとしていることが認められ、《証拠省略》によると京都地方検察庁は被告らのなした本件告発については三件とも嫌疑不十分の故を以て不起訴としたこと、その一方原告らが被告らに対してなした誣告、名誉、信用毀損の告訴も同検察庁が嫌疑不十分の故を以て不起訴としたことが認められる。

二  《証拠省略》によると次のとおり認められる。

1  原告両病院はもう一つのピネル病院とともにいわゆる十全会系三病院として原告双岡病院の代表者赤木孝が中心となって経営されていて、今日は京都府下の精神障害者の相当部分を収容する大きな病院であるがその経営方針に賛成しない見方をする人もかなりいて、それが医師看護婦等の職員を少くし、保険点数をあげるため薬の大量投与過剰注射が行われている、安易に患者の拘束療法を用いている、患者を作業療法と称して使役し又は安い賃金で準職員として使用する、看護婦にはパート勤務者が多くその人らは一日四時間働くと五時間目からは賃金が低くなる方法をとっている、そのため患者がおろそかに扱われ人権侵害の事実が多々ある等の不満、批判が多くなり四三年六月二八日被告木田が会長であった原告十全会即ち東山高原サナトリウムの患者自治会が同病院長と各種要望事項を掲げて交渉した。

2  四四年一二月二三日京都府衛生部長は十全会理事長とピネル病院長に対し、ピネル病院の調査結果に基づく改善についてと題し「今回の調査において従業員数が全般的に少く、医師看護婦の不足はもとより、その他の部門に於ても必要数が充たされていないこと、病院に雇傭されている社会復帰者に対し適正に欠ける面が認められること、作業療法に於ても改善を必要とするものが多く認められたこと、入院患者の超過収容について大部屋に著しい状態が見られ長期入院患者の医療が阻害されるおそれがあることが認められた。従って病院の管理、運営の適正化を図るにあたりこれらの点に十二分の留意をされるとともに改善に当り患者の医療及び従業員の労働条件等を基本的に配慮され速やかに改善計画を立てられたいとして、調査日の患者数四二二名に対し医師が四名なのは不足しているから少くとも四名の増員をせよ、看護婦数も六〇名が基準数なのに不足しているから少くとも九名増員せよ、病棟の看護体制につき無資格者の単独夜勤が行われ、社会復帰者を看護助手として月一五回から二二回、夜勤に従事させている事実があるが適正を欠くから改善を図ること、掃除等の雑役者、洗濯従事者が全くいないので必要数を雇傭すること、事務部門の人員も不十分であるから改善を図ること、調査日に於ける病床利用状況は一一一%で特に旧館二階三階の大部屋は三割から四割の超過収容が行われてるので超過収容が特定病院に集中しないよう適正な病室管理をなすこと、作業療法は患者の治療という意識のもとに医師の管理のもとに専門指導員によって企画実施され、常にその効果について記録され検討してゆかねばならないのに基礎的諸帳簿の整備は皆無に等しく作業療法としての確認が得られなかったのでこのような点を含め根本的に作業療法の管理方法を検討し医療の一貫として実施するよう改善をはかること等の具体的改善勧告をした。

3  四五年一月被告奥村が元看護婦をしていたピネル病院を退職した人がピネル病院退職者会を作りかつ印刷物によってその内情を外部に訴えた。

被告高木隆郎は二八年京大医学部を卒業して精神科医となり助手講師を経て現在は助教授の地位にある精神科の権威であるが十全会病院の治療方法は精神科医のとるべき治療方法とは程遠いものがあるとして自ら精神障害者家族の集りであるあけぼの会の代表となり四五年七月七日京都社会福祉問題研究会代表嶋田啓一郎京都府患者同盟会長浅田哲史と名を列ね蜷川京都府知事に対し、十全会の病院では患者がすし詰め、薬づけにされ点数かせぎ、診察不足、強制労働等が行われている。このことで府当局に提訴して以来半年以上になるのに府当局は効果的な処置を講じていないとして善処方を求める申入れを行った。

4  四五年七月七日、京都府議会に於て三上隆議員が蜷川知事に対し十全会病院について調査善処することを要望し蜷川知事もその要望に副って努力する旨答弁し、京都府議会は四五年一〇月五日、「精神障害者とその家族、社会の差別と偏見、経済的負担に日夜悩んでおり、とくに入院患者の現状はゆゆしい社会問題となっており憂慮にたえない。よって京都府及び関係者は精神障害者の基本的人権を守る立場から下記事項についてすみやかに善処されるよう強く要望する旨の決議を行った。

医療法人十全会関係三病院の理事者は次のような措置を講じられたい。病院の管理運営及び医療については当該病院医師と他の専門医師及び行政機関を含めた精神科医療の研究会等を自主的かつ積極的に開催される等により精神科医療が一層充実向上するよう努めること、作業療法については患者の病状に応じた適切な療法が行われるよう施設の整備、指導員の配置、作業種目の設定等の改善を図るとともに、作業による収益が患者の社会復帰に有効に用いられるよう措置し又作業療法が労働を強制するかのような誤解を招かないよう特に留意すること、レクリエーション療法等については、患者の意向が積極的に反映されるその自主的な活動を育成すること、医師、薬剤師、看護婦その他の従事者については関係法令に定める標準員数を確保し、かつ常勤者の比重を高めるよう努めるとともに、その労働条件の向上を図る方途が講ぜられること、云々」

5  その他京都社会福祉問題研究会とあけぼの会が主催者となって十全会系病院の糾弾集会を開いて一般府市民にその不当を訴え、三病院を告発する会が作られ各新聞ジャーナリズムもこうした運動を報道したが被告らにとってはそれが思うような成果が見られないと映じたため検察庁の手で刑事事件として処理してもらうべく本件告発に及んだ。

一方《証拠省略》によると京都府医師会は朝日新聞が四九年九月一日「十全会病院では患者の中から大量の死亡者が出ている」と報道したことをきっかけとして本問題を取上げ四九年一一月一九日「十全会系三病院の問題に関する見解」と題する次のような見解を発表した。

(1)  老人医療の無料化に伴い京都府医師会は国や自治体に老人福祉行政の刷新、老人医療の充実、就中病院、福祉施設の充足、看護婦の確保等を強く要求して来たがそれが実現していないことが問題の原因である。告発する側や一新聞がこうした基本的矛盾を解決する方策を示さず、現行衛生法規等を楯に三病院に集中して摘発の姿勢を示してきたことは老人医療行政の解決には役立たない。

(2)  十全会系三病院で四八年一月から九ヶ月間に八五九人の患者が死亡し死亡率が異常に高いと指摘されているが四九年九月三〇日現在この三病院では六〇才以上の患者がペットの六一%を占め京都府下の他の精神病院のそれが一六%に比べて非常に高く疾患内容として精神病以外に脳循環障害に基づく精神障害患者が五九%を占め入院当初から既に痴呆、失禁、全身衰弱、運動麻痺等の重篤な症状を伴っている場合が多いこと、その他の実情からみて他の精神病院に比して死亡率が高くなるのはやむを得ないのであって、他の病院と同列に論ずることはできない。

(3)  三病院に対する入院依頼先別では他の医療機関からの転医入院が三九%と最も多いがこれは患者の重症度及びこれに起因する看護の困難さを物語っている。

(4)  京都府では京大付属病院が生保医療を一切取扱わず、京都府立医大病院、京都市立病院等ですら精神症状を伴う老人患者を敬遠している傾向があるなかで民間病院とりわけ三病院がそのしわよせをうけているものと推察される。次に福祉事務所をはじめとする各種官庁からの依頼によるものが二四%あり他の病院で断られた患者を三病院がひきうけているという例も少くない。このようにして入院患者の全員が死亡退院の如き印象を与えているが四九年四月から九月迄の三病院の軽快退院者は七八四人で死亡退院者数五九〇人を上廻っている。

(5)  病院の構造、設備上についても特に問題とすべき点はなく、手当り次第に糞便をなすりつける患者の行為を防止するため軽く手を縛られている者が見られたがこれはやむを得ない処置である。

(6)  双岡病院で、狭義の精神病患者に対する同精神薬の大量投与が見られたがこれは患者の衝動的暴行症状を沈静する目的で投与されたものでやむを得ない特定のケースであった。

(7)  導尿指導、給食についても問題はない。

(8)  看護についても、分業化された仕事を機械的にこなしているということはないと考えられ、いわゆる大量死と看護実態との間に関係はない。

(9)  従って大量死が医療や看護に重大な因果関係はない。

以上のごとく十全会系三病院に対する評価には種々のものがあり本件事案の難しさを物語って余りある。

三  そこで被告らが告発した事実について検討する。

(一)  《証拠省略》によると次のとおり認められる。

1  訴外甲野春子(後に結婚して甲山姓となる。一六年一一月六日生)は三才の時父に戦死され母と姉の家庭で育てられたが甘やかされて育った故か曽て情緒不安定のところが多く三四年頃から四二年頃まで府立医大精神科に通院し、その間三九年一一月から四〇年九月までと四一年一一月から四二年四月までの間神経衰弱様の病気で同大学付属の花園病院に入院していたがその第二回目入院時診察治療は当時府立医大の精神科に勤務していた原告酒井が担当し甲野は退院後も同原告の許へ外来として通院していた。甲野の病名は反応性うつ病であった。

2  原告酒井が四四年九月府立医大から原告双岡病院に転任した一週間後である四四年九月八日甲野が相談の為原告酒井を訪れ、家族との折合いが悪いから入院させてくれと依頼した。原告酒井は同女の母親を呼んで相談したところ母親も家族では手に負えないから入院させてくれと依頼したので本人の興奮を鎮静さすため同月一二日まで入院させた。甲野は入院の時原告酒井が母親を呼んだことを憤り病院から逃出したため看護婦に追かけられて捕えられ、閉鎖病棟へ入れられベッドの上で両手両足を木棉の拘束帯で拘束され、その拘束は退院する一、二日前まで続きその間夕食時だけ解除されることもあった。

3  甲野はこうして一旦退院したが同人は同月二四日上京区西洞院の京都府婦人相談所を訪れ係員に対し「家族全員を殺して自分も死にたいネコイラズを買って準備している」といい甲野が去った後同所の便所からネコイラズが発見されたので翌朝その係員が家族に精神障害者として入院させよと勧告した。翌二六日甲野は近所の人と大阪駅前の梅田コマ劇場へ観劇に行ったが夜になってその近所の人が甲野の家族に甲野は落着いて観劇せず様子がおかしかったという連絡をよせた。又当日帰宅後の甲野は母親に対しどうして自分を押えつけようとするのかといって裁ちばさみを母親の方に向けて迫り家族全員を皆殺しにしてやると叫んで興奮したので家族が避難し、かけつけた従兄がはさみを取上げ近くの医師に依頼し睡眠薬を呑ませて眠らせることが出来た。翌朝甲野は母親が博愛会病院に電話して甲野の入院について相談したのをきいて興奮しかみそりを持出して母親を追かけたので家人が避難し表戸に鍵をかけ出られないようにした。同日午後五時頃甲野は婦人相談所に電話し自分は監禁され両手に怪我し血みどろになっていて首も痛いと告げた上かみそりで両腕を数ヶ所切り炊事場に縄をかけ死ぬ体勢をとった。そのため同日夕方甲野の家族が双岡病院へ甲野が興奮しているからすぐ入院させる為に迎えに来て欲しいと連絡したため原告酒井が甲野宅に行ってみると、甲野は相当興奮しており、体に傷もあり、自殺を図っている様子が判明したので同日午後七時三〇分双岡病院に連れて来て当直医の西尾元哉医師に話して入院させ前回と同じく八人入りの閉鎖病棟に入れベッド拘束をした。今回の入院は翌年の八月三日迄続いたが入院後二週間程は一日中の拘束を受け排尿排便もおむつでさせられそれから一週間程は夜間だけの拘束を受け排便の時だけ拘束を解いてもらってトイレに行き一〇月一九日になり保護処置が解かれた。この一日中拘束の時はいつも一本五〇〇ミリの注射二本が皮下注射され夜間拘束のみになってから一本の皮下注射となり、その跡がはれ上り痛みを感じ二、三ヶ月間はしびれも感じた。

4  甲野が双岡病院に第一回目の入院をした時は原告酒井が東伸子医師と共同受持という形であったが原告酒井が主となって担当した。当時東医師は双岡病院の女性病棟の主治医であり、原告酒井は老人内科病棟の主治医を担当しており精神科に移ったのは四六年二月からであるが、甲野が原告酒井に従前診察を受けてもらっていたことから依頼されて同女の診療に当った。但し第二回目入院の時は入院の手続までは原告酒井が担当したがその後は当直医の西尾元哉医師に甲野の診療を引継ぎ、二八日は同医師が担当し、二九日以後は東伸子医師が主治医として診療を担当した。原告酒井は東医師より四四年一〇月一〇日に行った甲野の脳波検査の結果の検討を依頼され、その関係で東医師にその後の同女の症状について尋ねたことと甲野の家族から病状等について相談されたこと、甲野から挨拶されたことはあるが、原告酒井が右検査に際して甲野を診察したとか検査室に出入りして指示する等はしていない。従って甲野がベッド拘束されたこと、注射等により大腿部等に有痛性腫脹が存在したのは事実であるが、原告酒井が同女の主治医として実際にかかる処置を行ったのではない。

但し甲野は以上のような従来の経過から原告酒井が主治医でこういう治療方法をとったと思いその旨を被告らに伝えたため被告らはこの件について原告酒井を主治医として告発した。

《証拠判断省略》

(二)  《証拠省略》によると次のとおり認められる。

1  訴外丙川一郎(昭和一八年一一月一六日生)は一七才の頃から精神分裂病を患い最初一年間府立医大付属の花園病院に入院し三七年四月から双岡病院に通院入院を繰返していた(無断退院二回)が四四年五月一四日から四六年八月五日迄再び双岡病院に入院した。

2  丙川には石ころや木の葉を食べる奇行があり家庭では数分間劇しい興奮状態に陥りその後二週間位はおとなしいという風であった。異食症といって普通の人の食事を拒み異物を求め、病院でもしきりに玄米食を求めた。第二回目入院当時の病状は発明妄想があり、その為に頭をすっきりさせる為と称して異食症が現われ、その異食を制限されるのと発明妄想による緊張とで興奮し徘徊する傾向にあった。

3  丙川は双岡病院から四四年一一月一五日から三日間の外泊許可を得て帰宅した。同人は家庭で玄米食をなし帰院後も玄米食を与えてもらうよう家族が医師に頼むということを条件に一七日に帰院したが主治医の池田は玄米食を与えることが異食症を昂進さすという考えで玄米食を与えることに消極的であったこともあって興奮がつのり一一月一九日は朝から落着がなく、玄米食を要求し、僕の親は悪い奴だといって廊下を徘徊し、注射をしても落着かず衝動的に病室のガラスを割ったので別室に移された。二一日も玄米食をしきりに求めて給食に手をつけなかった。二二日は朝から職員の顔を見ると目をつぶしてやる等とどなりながら布団を破り綿を細くちぎってしまった。昼食後看護婦が変な物音がするのでかけつけると、鉄枠から角材を入れ鉄枠をこじあけようとしていたため準看護士の藤原正太が止めに入った途端に針金をポケットから出し同人の右前頭部を突いたため出血する騒ぎとなった。藤原正太が出血の手当をすませ再び病室に入ると丙川は藤原の胸にあったボールペンを取上げそれで耳の上部を突いた。藤原が痛みでうずくまると殴ったり蹴ったりするので藤原らは丙川を力づくでベッドに寝かせ六本の保護帯で完全なベッド拘束を行った。前記角材はフトンの布を用いて窓の外から引き上げたものらしく針金はその角材の根の方に巻きつけられていたものと想像されている。この処置で騒ぎが納まったがその翌日以降も玄米食を求め二四日は母親が持参した玄米食をおいしそうにたべたが看護婦には反抗的であった。二五日には自分でベッド拘束を解き大声でわめき散らし看護婦は入室できなかった。尚二二日朝から原告池田は出張で不在したため丙川のベッド拘束は東伸子医師と院長の判断でとられた。原告池田は二四日に帰院したが、丙川の治療として注射を打つ為には同人の体を静止させる必要があるのと、自傷他害の恐れがあると判断したのでベッド拘束処置を継続させた。以上のベッド拘束の間丙川がベッド拘束を解こうとしてもがいたため両前腕、右膝関節に擦過傷が生じ右上肢肘関節領域と手関節領域にかなり強い腫脹と運動障害が生じたので一二月三日原告池田は丙川のベッド拘束を解き傷の手当を行った。一二月一四日頃には丙川の右上肢は大分上の方まで上げられるようになった。但し同人の傷は丙川が創傷は大気療法をするといって看護婦の処置を拒むことがあって治癒がおくれ二月末までかかって瘢痕状となった。

4  四五年二月下旬丙川の父丙川春夫は丙川に面会に行き息子が創傷のため意外に衰弱しているのを見て憤慨し被告榎本らにこれを報告し双岡病院の理事者にも抗議し、同病院との間で話し合いがもたれ、双岡病院は治療上の行きすぎという見解であり、同人の父は故意による傷害ということで名目については一致しなかったが病院側が金五〇万円を払い同人の傷についての示談が四八年八月一五日成立した。但し丙川春夫は病院側が誠意をもって創傷の治療をしているのをみて、勧めがあったが原告池田を警察その他に告訴することはしなかった。

(三)  《証拠省略》によると次のとおり認められる。

1  訴外乙山二郎(正確には乙山一一年七月三日生)は米子市出身で四一年一二月肺結核を発病京都の京北病院、米子市の博愛病院、京都の安井病院、滋賀県の国立療養所比良園、京都の大羽病院を経て四三年八月五日から左京福祉事務所の依頼で原告十全会に入院した。同人は青年期に実家を出て鳶職で生計を立てていたが二〇才の頃より傷害事件を起し三七年五月八日、殺人未遂による三年の刑を終えて山口刑務所を出所したという。入院時に於て国吉政一医師はその所見を怨恨感情を露骨に示し爆発的短絡反応的傾向があり作話を交え自己の正当性を強く主張し性格偏倚著明で内省心乏しく、自己の疾患への治療意欲乏しく、社会的適応性低く問題行動多発の可能性が強いと書いた。又同人が病院を転々としたのは飲酒等の規則違反や看護婦らがこわがったためでないかとみられる。身体には入墨をしていた。

2  乙山の入院時の病名は精神病質と肺結核、高血圧となっているが入院後慢性胃炎、痔核、便秘、感冒、結膜炎、気管支肺炎、急性大腸炎等を患い治療を受けていた。但し一番重なものは肺結核でありアルコール中毒でもない。精神病質ではあっても狭義の精神病ではなく、精神衛生法二九条該当者ではなく同意入院であった。生活保護受給患者であった。

3  乙山は入院後前記のような病気になったが各種の検査、投薬を受け、温順しく寝ていることも多かった。ただ看護婦に対しづけづけものをいい看護婦は口の悪いのには困りますとカルテに書くことがあった。精神科の主治医は国吉医師、内科の主治医は日根野後は川合医師であったが精神科的な療法は国吉医師の回診位で薬物療法はなされなかった。四三年三月一八日から四月九日迄、急性腹症の外科治療のため桑原病院に入院してそれがすみ、又十全会に戻った。又カルテには次のように誌されている。四四年五月三日、外泊の積りで外出したが午後六時頃飲酒して戻り、その翌日は不眠を訴え睡眠薬をもらった。同年六月一日、朝から飲酒しウイスキー一本をのみ風呂場で倒れた。最近塗沫が陽性になったので気になったためだという。

同年七月一〇日、昨夜牛乳を一本飲んだところ嘔吐があり今日になっても吐気があるという。

同年八月一六日、少ししんどいらしい安静時間が多い。

同年九月一三日、他の患者に対する言葉使いが荒く看護人にくってかゝり殺してやるといってこわがらせる。

同年一二月八日、年末の外泊を希望せず終日裸で暮す。

4  二郎は福祉事務所から多少の金員を支給され病室ではボス的な存在となっていたので他の患者に酒を買わすことがあり国吉医師はそれを戒めていた。

5  四四年一二月二〇日朝、乙山が前日飲酒したことが看護婦らに判ったので、同日午前中国吉医師が乙山に対し飲酒をやめるよう説得した。乙山は一応それに従って病室に戻ったが午後になると再び飲酒し同室の患者や看護婦らに迷惑をかけたので国吉医師は再び赤木信志看護長と別の患者一人を立合せて説得したがきき入れそうになかったので同日午後四時国吉医師は乙山を一階の個室に移し短時間の催眠剤であるイソゾールを注射し覚醒時に暴れるのを防ぐためベッド拘束処置をとった上乙山に持続睡眠療法をとることをきめた。尚午後の説得の時中山宏太郎医師も側で見ていたが同人の眼には乙山は国吉医師より叱られておとなしくしていたという。

6  国吉医師は前記持続睡眠療法として乙山に対し二〇日から二四日迄の間うとうととした状態のまゝ大量の精神安定剤を投与する方針をとり毎日、朝(八時)昼(一二時)夕(一六時三〇分)の三回、一回につきトリペリドール二・五ミリグラム二アンプル、アキネトン一アンプル、イソミタールソーダ〇・二五グラム一アンプル、セレネース五ミリグラム二アンプルを注射すること、栄養補給としてブドウ糖、アミノ酸ポリタミン、ビタミン剤、強心剤を混合した点摘静注を指示した。看護婦は大体この指示どおりの注射を行ったが二〇日の午後八時二〇分にイソミタールソーダーを注射したのにそれから間もない午後九時に又イソミタールソーダーをブドウ糖に混入して注射し、二一日朝の四時にはイソミタールソーダーを注射し一時間後の午前五時と午後七時には、イソミタールソーダーを点滴に混合して注射した。尚二一日は日曜であったが国吉医師は出勤して乙山の血圧を測り瞳孔反射を見たが昏睡状態ではない睡眠状態にあることを確認しイソミタールソーダーの追加を中止させた。乙山は二一日夜から二二日にかけ発熱し気管支肺炎を起したので当直の中山医師がビクシリンを注射した。

二二日午前一時喀啖排出が増えたので中山医師が吸引器を使用させ午後三時、国吉医師が酸素吸入を実施させた。二二日に行ったイソミタールソーダーを混じた点滴は午前六時の一回だけであった。

二三日午前七時乙山が大声で「血を取るな」「注射するな」と興奮状態があったので看護婦は午前七時二〇分にイソミタール注射を行い、午前一〇時、午後二時、午後五時、午後一〇時三〇分にイソミタールソーダーの混った点滴を行い、午後六時又イソミタールソーダーを注射した。同日午後五時にもう一本イソミタールソーダーを注射した可能性があるが正確でない。又二四日午前〇時にもイソミタールソーダーを注射した可能性があるが正確でない。とにかく二三日中は六本ないし七本のイソミタールソーダーが単独又は点滴に混じて注射された。この日の乙山の血圧は朝が一三〇と七〇午後が一三二と一〇二であった。この日は昼夜に流動食が与えられた。

二三日午後四時酸素七〇〇〇lのものの交換がなされ午後七時一二〇〇ccの導尿がなされた。

二四日午前二時看護婦が見た時は乙山は生存していて脈搏はあったがそれから一時間程の間に両手両足をしばられ酸素吸入を受けたまゝ死亡し中山医師が確認した、国吉医師が作成した死亡診断書には気管支肺炎が二、三分の誤飲(嚥下障害)を起し約六〇秒間の窒息のため死亡したと書かれ国吉医師は気道から出て来た喀啖とか気道分泌物の気道閉塞が原因で肺炎の可能性は少いだろうと推定し、それには二三日から二四日に打たれたイソミタールソーダーの影響もあるだろうとイソミタールソーダーの投与が多かったことを認めている中山医師が見た時の所見では乙山の顔面に黄緑色でうすい固まり食物の残りかす、痰をかぶり死班が顔面にあり脈、心音ともになし瞳孔散大、対光反射なし、死後強直はなく、身体特に心臓が衰弱していた。

7  医師中山宏太郎は乙山二郎が死亡した当時原告十全会へ週二回半のアルバイトや当直勤務に行っていて乙山が死亡した時も当直勤務についていたが十全会では当直医の時間帯に看護婦が行う注射等はかねてよりの主治医の指示で行われていて余程のことがない限り当直医の許可を受けて行われることはなく乙山の場合も当直医が許可を与えたことはなかった。同人は当時の十全会の医師、看護婦の配置状況で国吉医師の行う持続的睡眠療法は危険で結核患者の乙山には特に危険を感じたので二一日頃その旨国吉医師に進言したが拒否された。国吉医師が、乙山のため指示した注射量は極量をこえ危険な量であると思い国吉医師に進言したのであった。又同医師は乙山の死亡を見てこれは自然死でないから司法解剖をすべきだと考えその旨国吉医師に電話したがその必要はないと拒否された。

以上のごとく認められ証人中山宏太郎の証言にある一二月二〇日国吉医師が乙山にイソゾールを用いたというのは電気ショックを用いたのではないかと思うという部分は他に裏付ける証拠がないので措信しがたく、甲一七号証の指示簿の四四年一二月二〇日の乙山二郎欄に中止と赤字で書いてある部分は国吉医師が二二日にイソミタールソーダーを注射を少くさせたように部分的に修正した部分があるが全面的に中止させたことはなく、この中止の文字は後に記入したものと認められる。又証人国吉医師の証言にあるイソミタールソーダー等の過剰投与が当直医の指示によるものであるという趣旨の証言は《証拠省略》と比べて措信しがたく、これも国吉医師の指示によるか少くとも看護婦が国吉医師の意を体して注射したものと認める。

四  《証拠省略》によると十全会系病院以外の病院では精神科の患者に対するベッド拘束は数時間程度のものしか余り行わずましておむつを使うような長時間のベッド拘束はほとんど行っていないこと、甲野や丙川の場合でもこんなに長時間拘束を行うことは疑問であることイソミタールソーダーの注射は危険なので看護婦にやらせず医師自身がやるべきものであること玄米食を異食とみることは疑問であること、持続的睡眠療法は他の病院ではほとんど行っていないことが認められる。

五  右の三の(一)(二)(三)で認定された事実に対し原告らはこれを正当な治療行為であると主張し被告らはこれを治療行為とはいえない犯罪であると主張するものであるところ、医療行為は手術に於ける侵襲が代表するようにそれ自体傷害行為を伴うものであるが他害を目的とせず治療を目的とするが故に正当行為として違法性を欠くものであるから行為者の主観に於て治療を目的としかつその行為が客観的に治療行為に必要なものであること即ち相当性を要し、更に本件被告らのごとくこれを犯罪行為として告発しそれが公表されることを知って新聞記者に告知するにはかく信ずることに正当性を要すると解すべきである。よってこれを本件にあてはめ次のとおり判断する。

(1)  原告双岡病院が訴外甲野春子を四四年九月二七日から三週間ベッド拘束をした当時同病院の職務分担として原告酒井が甲野の主治医でなく東医師が主治医であったことは原告ら主張のとおりであるが原告酒井はその前の同年九月八日からの第一回入院時に於ては甲野の主治医であったのみならず第二回目入院の時は原告酒井が甲野の家まで行って甲野を病院に連れて来て入院手続の世話をなし、その後引続き同じ病院勤務していたのであるから同原告が甲野に対する治療について全く影響力をもっていなかったとは解しがたいので甲野や被告らが原告酒井を主治医と思っていたとしても無理がないので同原告が甲野について全く関係がないという主張は採用しがたい。但し甲野のベッド拘束は前記三の(一)で認定したごとく当時甲野が興奮して自傷や自殺を図り家族を追いかけたため家族の手に追えず原告酒井に依頼して入院させたためであり当時としてはそのベッド拘束の必要があったものであり、又リンゲル等の注射は甲野の栄養補給のためになされたものといえるのでこれも以って病院側が治療目的外の害意を以ってなした不相当なものとみることはできない。ただこんなベッド拘束を永く続けたことは過剰行為と見る余地はあるが病院ではその後必要がなくなれば解除しているのであるから担当者はその必要ありと認めて三週間続けたものと解され、医院側にはその程度の裁量は許されるのでこれを以って犯罪を構成する違法性があるとみることは相当でない。

(2)  丙川春夫の場合も前記三の(二)で認定したごとく丙川は分裂病という狭義の精神病患者で当時は衝動的にガラスを割ったり看護人に傷害を与えたため病院側がやむを得ずベッド拘束を行ったところ丙川がこれを解こうとしてもがたいたため自ら傷害を負うに至ったものであるから原告池田が懲戒のためとか暴行の目的で丙川を監禁したとみることはできないのでこれをそうした目的でなしたという被告らの告発は正鵠を欠くといわねばならない。丙川の場合も原告池田が玄米食を即異食とみてこれを禁ずるよりは玄米食を欲しがったら与えた方がよかったのではないかと考えられるし後に金を出して謝罪せねばならぬ程傷を与えるようなベッド拘束を行わず、むしろ自由に外へ出られない程度の保護が望ましかったとは考えられるがそれをしなかったのは病院側にそうした施設がなかったためと治療担当者はそれが必要と考えたためであるからその故を以って丙川に対する行為を犯罪とみることは相当でない。従って被告らが原告池田を監禁致傷として告発したことも正鵠を欠いたといわざるを得ない。

(3)  但し乙山二郎の場合は、同人は口が悪く各病院を転々する厄介な人物であったが狭義の精神病者ではなくその重な疾患は肺結核の内科患者であり四四年一二月二〇日の時も酒を飲んだということで注意されたに過ぎないのであるからあの場合国吉医師が一般に危険な療法とされている持続睡眠療法を四日間もやる必要性があったかどうか大いに疑問でありその方法も十分な医師、看護婦の付添なしに手脚をしばりつけたまゝあのように多量のイソミタールソーダー等の注射を指示し栄養補給を点滴に頼る療法を行ったこと特に結核患者に斯様な荒療治を行ったことの可否について疑問を拭うことができず、乙山が手脚をしばられず自由に出来さえすればあの若さでは死亡まで招くことはなかったのではないかと考えられること等前記三の(三)認定の諸事実のもとでは国吉医師が電気療法を行った証明はないとしても中山宏太郎医師ひいては被告らが国吉医師の行為を目して治療をこえた傷害致死でないかと考えて告発したことには無理からぬものがあると考えられるので被告らが行った本件告発が正鵠でないとはいえずその行為に過失ありとは認めがたい。国吉医師が、告発文言にあるような「乙山が同室の患者に向って国吉の野郎やってやると叫んでいたことを国吉医師が聞き知るに及んでその暴言に立腹し報復せんとして、更に他の患者の見せしめとして懲戒を加えようと企てた」という点は証明が十分でなく国吉医師も当時既に四五才、京大医学部を卒業した資格と経験をもつ医師であるからそんなこと位で傷害致死を図ったとは考えられないがではなぜ斯様な荒療法を取ったか理解が難しくそれを見た中山医師がこれは治療方法とはいえない行為だと見たことに合理性があるといわねばならない。従ってこの点を理由とする原告十全会の請求は理由がない。

以上のごとく乙山の場合を除き、甲野と丙川の場合は被告らがこれを犯罪とみたことは正鵠でない。而して告発とは捜査官に犯罪ありとして訴追を求める意思表示で国民の一般的な権利であるからかく信ずるに正当な理由があれば免責されるが被告高木は当時京都大学医学部講師、被告榎本は社会的に知名度の高い医師であり、その他の被告らもそれぞれ責任のある社会人であるから原告ら医院、医師の行為を犯罪と断定するについては被害者だという甲野春子や丙川二郎の報告をきくのみでなく、相手方の意見をもきいて正鵠を期する等の注意義務があると解すべきところ被告らにはその方法をとらず犯罪なりと断定したことはなすべき注意を怠った過失があったといわざるを得ない。いわんや新聞記事になることを知って新聞記者に告知したことは原告酒井、池田、双岡病院の社会的評価、信用を傷つけた不法行為を構成するものであるからそれにより生じた損害を賠償すべきものといわねばならない。

被告らが弱い身体障害者の人権擁護を希い、これに反するとみた原告らを批判しやむにやまれず告発手段に出た真意は諒解できるがその故を以って本件不法行為の責任を免れ得ないものと解する。

六  損害について

《証拠省略》によれば同原告らが別紙一、二記載の経歴と家族の持主であること、原告酒井、池田が被告らの行った本件告発の新聞記事のため種々な人々から事情を尋ねられ心配され本人や家族が迷惑を受けたことが認められるが《証拠省略》によると朝日新聞以外の各紙は告発の事実ともに原告酒井や東双岡病院長の反論も掲載しているので読者はこれを比較して評価できたと考えられ、《証拠省略》によるとこのため原告双岡病院内に騒ぎが起きたりその後の経営が不振になった事実もなく、新聞も不起訴の決定を報道したことが認められ、被告らの告発も全く根も葉もないもめではなかったこと、その他諸般の事情に鑑みその慰藉料は新聞記事によるもの、誣告によるものを区別せず原告双岡病院に金二〇万円、原告池田、同酒井に金三〇万円づつを以って相当と認める。尚以上のことにつき被告らの行為は民法七一九条の共同不法行為に該当するので各自連帯してこれを負担すべきものである。

七  よって原告らの請求は被告らに対し連帯して不法行為に基づく損害賠償として原告双岡病院に対し金二〇万円、原告酒井に対し金三〇万円、原告池田に対し金三〇万円といずれもこれらに対する最終の不法行為日の翌日であること記録上明らかな昭和四五年一二月三〇日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、原告十全会の請求ならびに前記記載の原告らのその余の請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用し、仮執行宣言はその必要なしと認めてこれを付さず主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 菊地博 裁判官 小北陽三 亀川清長)

〈以下省略〉

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